日本語 English
有限会社オフィス山本
022-228-2820

人生を変えた出会い

 私にとってそれは、異文化コミュニケーションの分野の権威、ジャック・コンドン博士(Dr. John.C. Condon)との出会いです。私が初めてお会いしたのは1989年の夏、ある研修(Summer Institute of Intercultural Communication=S.I.I.C.)に参加した時です。その研修には、同分野の専門家やその領域の知識、スキル、または人脈を作ることに興味のある人たちが集まって来ていました。ジャックは、3週間に及ぶさまざまな研修のファシリテーターの一人でした。この分野に初めて足を踏み入れたも同然の私にとって、ジャックたちによる研修は、目から鱗!研修内容においては勿論のこと、私にとってその当時はまだ馴染みがなかった体験学習という研修方法、そして、ファシリテータであるジャックの参加者たちとの関わり具合は、まるで仲間か同僚的な距離感の近さと砕けたその感じ、先生イコール権威と言った日本から直でやってきた古い伝統的な認識を持った私の頭には、これら全てが興味深く、刺激的でした。

ジャックは国際キリスト教大学で客員教授として長く、大変な親日家だと言うことを知り、私の不安はその時に少しかき消されたのでした。日本通の彼は、休憩の後、私にラジオ体操をみんなに紹介してくれないか、と頼むのです。先生曰く、すべての日本人がラジオ体操を知っている、これはとても珍しいことであり、大変日本的なのだと。つまり、日本を知るには良い現象であり、その意味で象徴的と言いたかったのでしょうか。なじみのラジオ体操の音楽もない中での実践は、気恥ずかしかったのですが仕方なく40名ぐらいの同僚の参加者の前でラジオ体操を披露しました。これは、懐かしい思い出のひとつです。

その後、彼のお誘いもありニューメキシコの大学院で異文化コミュニケーションをさらに勉強しました。伴侶と私はその一件何も無いような干ばつした土地が大変気に入り、あの広大な土地と太陽を二人の息子たちの名前の一部にしたくらいです。長男はニューメキシコの土地で生まれました。ジャックは私へ、そして家族にもこのように影響を与えていたのです。

さて、ジャックの好奇心の旺盛さには目を見張るものがあります。私たち家族は以前、浅草近くの業平橋駅付近、今で言うスカイツリーの近くに住んでいました。約1-2年ほど私たちが住むマンションの階下のフロアーが空くことになり、彼をその空く部屋に誘ったところ移り住みたいと言い、行動を起こしてしまいました。東京の下町に住みたかったらしいのですが、この決断、そして行動力に驚きました。あげくの果てには、その界隈のお煎餅屋さんと仲良くなり、私に紹介くださったほどでした。

既に80代のジャックは、コロナを経てやっと久しぶりに息子さんのご家族が住む日本へ来ることができました。私とジャックとのリユニオンは、彼の希望で食事を挟んで銀座の文具店の鳩居堂、そして田原町の河童橋へ行くことでした。その道中、田原町から上野駅へ帰るタクシーの中で運転手さんに「田原町の由来はなんですか」と尋ねてました。80代後半でお一人で飛行機を乗り継いで日本へ来られることにも頭が下がりますが、このように、いろんなことに興味を示される姿にも軽い感動を覚えました。別れ際に、「おこがましいのですが、いつか一緒に本を書けたらいいな」と図々しくも私が彼に思いを伝えたら「I’ll be around.(まだ生きているでしょうよ。)」と笑顔で答えてくれました。。。はい、できたらよろしく、その時にはお願いいたします。