こんな悩みを持っていませんか。
「なんか、疲れたな、最近!何やってんだろうか。。。」
「あなた、聞いたでしょ? 何度同じことを言わせるの!」
「どうしたら、私の意図をわかってもらえるのでしょうか。」
または、こんなことを考えてませんか。
自分を見出したい、自分は何をしたいのか、
どう将来向かっていけば良いのか。
きっと「良かった!」と感じてくださるとことでしょう。
山本喜久江の想い
人と人が出会う時、喜びを分かち合い、温かさを感じます。同様に、時には互いの想いが交差し、傷つくこともあります。
この人間関係を、よりよく理解したいと思いませんか。
実は、異文化コミュニケーションの理論や概念が役立つと思うのです。異文化の「文化」は一言で言えば、背景や価値観です。つまり異文化とは、背景の違い、そして異文化コミュニケーションとは、背景の違う人とコミュニケーションすること。これは日本人同士のコミュニケーションも大雑把に言えば、異文化コミュニケーションと言えるのです。こうしたことから、この理論や概念が、私たち日本人同士の日常の関係にも適用できるし、役立つと思っています。
また、異文化コミュニケーション学の応用に、「パーソナル・リーダーシップ・スタイル(plseminars.com)」(詳細は、サービスページ、1)があります。これもいいんですよねー!何にいいか?ストレス削減につながります。ちなみに、そのエッセンスだけを取り上げると、他人にとってではなく、他人からどう見られるかではなく、「今、ここ」で、自分にとっては何が正しいことなのか、自分の内から湧き出る力を感じるものを探すためのツールと言えるでしょう。
「自分が自分のボスになる」
そのためのお手伝いをします。
形式は、コーチングから研修まで。
個人様からエグゼキュティブまで。
対面、スカイプ、
電話での方法も可。
パーソナル・リーダーシップ、
グローバルリーダーシップ、
コミュニケーション、
女性研修、多様性研修、他、ご相談ください。
私は、福島県いわき市の塩谷岬の直ぐ近くで生まれ育ちました。朝は、家からすぐ目の前の太平洋の潮騒の音で目を覚まし、夏休みには友達と一緒に毎朝、砂浜を散歩し貝殻などを拾って遊びました。また朝日が、波や濡れた砂浜、貝殻に反射して光っているのを見るのが大好きで、時には歩くのを止めて砂浜に寝そべって、その光を見て楽しんだものです。中学校に上がる頃は、海の向こうの水平線を眺めては「青い目をしたお人形は、アメリカ生まれのセルロイド」と言う歌を口ずさみ、遠い国、海外(当時は海外といえばアメリカという時代でした)に想いを馳せたものです。小さな小瓶に手紙を詰めて海に流し、文通相手になってくれる人が現れないか、と海の彼方からの頼りを受け取ることを夢見たものです。
法政大学の英文科に進み、3年の終わり頃だったと思いますが、海外へ行きたいという自分の夢をある先生に打ち明けました。当時(1970年代)は、現在と違って、海外へ行きたければすぐ行けるという時代ではなく、また、滞在する期間によっては、大学を留年しなければならないなどの問題がありましたので、大学の先生に相談してみたのです。その先生のご理解と許可を得て、留年することなく半年間の語学留学に行くことになりました。当時のレー トは1ドル280円でした。今と比較すると雲泥の差ですが、そのための資金はきついアルバイト をこなし、ようやく30数万円を貯めていました。頭の中はアメリカ一色でしたので、長時間の 立ちっぱなしのバイトも全く苦になりませんでした。子供の頃からの夢、アメリカの土を踏んだ のは21歳の春、これが私と海外の始まりです。
その後、勉学と仕事で3回渡米し、長期と短期を合わせて合計で10年近くアメリカに住むことになりました。勉学の方ではサンフランシスコ州立大に入学し、ジャーナリズムを専攻し、地元の日系の新聞社に就職しました。当時亡命中の元韓国大統領、金大中氏のインタビューなども経験しましたが、かなり緊張したことを憶えています。日系の新聞社の働きでは食べて行くのがやっとでそこを退職しました。運良く、トヨタ自動車の合弁会社が’サンフランシスコの南のフレモント市に設立したことを大学の恩師から聞き、思い切ってこの新会社のドアを叩きました。 入社試験はインタビューだけの簡単なものでした。幸いなことにこの合弁会社に受かり、人事教育部に配属されました。この経験が今の私の仕事の礎となっています。ここで、日本人とアメリカ人対象の「異文化コミュニケーション研修」を生まれて初めてデザインをし、それを実施することになりました。英語の不安を抱えながらドキドキしながらアメリカ人従業員対象にクロスカルチャー研修を実施したことが、懐かしく思い出されます。当時のトヨタ自動車からの仲間やアメリカ人の親友とは、今でも互いに行ったり来たり、スカイプなどで月に一度は連絡を取り合っています。
日本に帰国後、大学や企業でフリーランスとして異文化コミュニケーションの研修などを行ってきましたが、仕事を進めるうちに自分自身の知識不足を実感、異文化コミュニケーションというのをさらに体系的に学ぶことを決めました。異文化コミュニケーション学の権威、John C. Condon先生が教鞭をとるニューメキシコの大学院に入学し、2年間、伴侶と新しい土地で生活しました。大学院の2年目で長男を出産、その後帰国し、次男を築地で出産しました。
帰国してから体験した「リエントリー・ショック」は予想を超える難儀なものでした。理論的には知っていたものですが、このショックを実際に自分が体験したことは、本当に良かったと思っています。異文化に憧れ、異文化に住み、異文化で仕事をし、そして異文化について勉強してきました。こうして学んだ理論と自分の体験を通して得た実践的感覚、知恵、コツなどを融合させ、これからも必要な方々に提供して行きたいと思っています。
瀬畑一茂氏
Kazushige Sehata
山本さんには2008年からコーチをお願いし、気がつけば10年以上が経ちました。自分自身を深く見つめることをガイドしていただき、『本当の自分』『自身の在り方』に気づくことが出来るようになりました。『~すべき』という思い込みから解放される道のりは時間がかかるプロセスでしたが、じっくり伴走していただき、感謝しております。
(前)BASF Japan 副社長
合同会社ReConnect 代表社員 ATEHAS 代表 kawalabo 店主
リタ ウエブラー氏
Rita Wuebbeler
山本さんと知り合い、7年が経過しました。公私にわたりコーチングをしていただき、大変な困難を極めた局面も彼女のおかげで乗り越えてきました。コーチングを通して、私にとって何が本当に大切なのか、何が今自分にとっては最優先なのかを整理するため、かつ正しい行動をとるために、寄り添ってガイドしてくれました。コーチとして、またPLのプラクティショナーであり講師として彼女を推薦します。
インターグローブ・クロスカルチャー ビジネスサービス、ジョージア州、北米 代表取締役
鈴木尚文氏
Naofumi Suzuki
山本さんに出会うまでは、自分は指示ばかりを考えていましたが、部下の考えや気持ちを聞 く大切さに気づかされました。なぜ、大事か?もちろん、自分がより効果的になるためです。山本さんに感謝です。
元トヨタ(株)本社、調達企画部
ニューライトサービス(株) 顧問
安西一朗氏
Ichiro Anzai
日頃の業務から離れて考え、気づく場をもたらして頂ける講師として、山本さんを推奨します。当たり前ながら、自分を知り、困りごとや、どうしたいかを理解し、その観点を常に持ち日々業務に落とし込むには、誰かの助けが必要です。その助けになる存在が山本さんです。
エアハルトライマージャパン(株)
代表取締役社長
名倉愛氏
AINAGURA
目的は、自分の人生の目的と今後の行き方を明確にすること。(中略)一人で色々と考えるだけでなく、テーマに沿って質問していただくことで、普段考えなかったことを考えたり、、、、どんどん自分の中で明確にすることができました。質問だけでなく、時に提案をいただいたり、事例を挙げていただいたり、と気づくヒントにもなりました。。、、、楽しく自由なリラックスできる時間でもありました。思いの外、早く目的を達成することができたことに感謝いたします。
(有)愛幸 代表取締役