私は30年近く企業研修を生業にしていますが、研修の流れや成り行きに身を任せることは必ずしも心地よい方ではありません。どちらかと言えば、コントロールしたい方です(周りにはそうは映らないかもしれませんが、実はそうなんです。)例えば、時間を分単位で計画します。その流れを崩すような発言や質問が参加者から飛んで来たり、ましてや話し合いが始まると内心ハラハラすることもあります。こんなわけで、今でも計画した通りに進むと安心します。しかし、実は長い間、流れに任せる、人に任せるこのスタイルをもっと身につけたいと暗中模索はしています。
話は変わりますが、長男がコロナが原因で2度の延期の果て、ついに今年結婚式を挙げました。両親は子供から頼まれない限り、式については口出しをしないようにしておりました。長男たちはぜーんぶ自分達で結婚式を決め、両親は最後まで詳細は知らずのまま。例えば、何人のお客様がお見えになるのか、どんな式場なのか(名前は教えてもらいましたよ、勿論)、どんな流れで式が運ぶのかなどほとんどわからずじまい。口出しをせずに黙って待ってはいたものの、田舎から出てくる頭の硬い親族たちに失礼がなければ良いがなどど、内心心配していました。やはり、もう少し口出しすれば良いかったかも、とちょっと後悔すらしました。しかし、開けてびっくり。任せた結果、よくある退屈なスピーチの連続などはなく友人一人のみによるスピーチ、そして、キャンドルサービスもなくケーキカットもない式でした。その代わりに、長男は自分が好きな地元の野球チーム、東北楽天イーグルスのユニフォームを着て登場、びっくりするやら微笑ましいやら。彼の背中には球場で見かけるビールサーバーを背負ってるではありませんか!各テーブルのピッチャーにビールを注ぎ、お客様と談笑しながいかにも楽しそう。こんなことは私たちでは考えもつかないイベントでした。息子とお嫁さんは大好きなビールを楽しそうに注いでは、周りの人と笑い合ってる姿を私は誇らしく思いながら目を細めて眺めてました。
そんな微笑ましい雰囲気の中で私は大失態をしたのです。「私たちのテーブルに長男はまだまだ来ないだろう」と思いお手洗いに立ってしまったのです。長男がビールを注ぎに両親のテーブルにやっと着いた時には、母親不在、なんと家族全員での記念写真も母不在という「悲しい」ことになってしまいました。それを知らずに私はお手洗いからテーブルへ戻ろうとして廊下で姉とすれ違うと、私に姉の一言「バカじゃん、どこに行ってたの!」。「えー?!やばっ!」とは後の祭り。申し訳ないやら、残念やら、後悔しても後の祭りとなりました。
ともあれ、人に任せることの素晴らしさを再認識し、予想以上の何倍も楽しいイベントになったように思います。仕事でも「人に任せる、部下に任せる、流れに任せる」大事さはしばしば指摘されます。自分に不安や自信の欠如を感じる時、他人に任せることは難しいものです。でもこれを機会に、さらに人に任せる、流れに任せることを私はもっと意識したい、と深く思いました。