私はお祭りが大好きです。お祭りでは多くの人の笑顔を見ることができるからです。人々の笑顔は私を嬉しくさせてくれます。そして祭りに伴う音楽が私をワクワクさせてくれます。太鼓の音、あの迫力に心躍らせられます。そして、笛の音色が醸し出す心が浮かれてしまうような軽快な感じ、これも私は大好きです。
以前、サンフランシスコに住んでいた時、バークレー大学で行われた佐渡の和太鼓演奏を聞きに行きました。座っている椅子までを振動させるその轟くような音を聞いて、ただ興奮し、手に汗を握る感動を覚えたものです。そして、このような素敵な音楽を作り出す同胞を誇りに思え、自分もその一人であることに嬉しくなりました。
お祭りと言えば、日本人にとってお祭りとはどのような存在なのかを教えてくれた記事を思い出します。それは東日本大震災、3.11の被災者たちの声が取り上げられている記事でした。震災から一年が経ち、2年が経ち、場合によっては3年が経ち、やっと祭りができるような状態になり、そういうお祭りを通して人々が分かった、感じたことを以下のように伝えていました。
「お祭りが私たちをつなげてくれた、これで、元気をもらった。これでやっと、少し前に進める気がします。」これまで泣いて暮らしていた人たち、ただ家にこもりがちになってしまっていた人たち、失なった家族を想い、やる気も出ずただただ呆然と日々を過ごしてきた人たち、そんな人たちがつぶやいた言葉でした。その時に私は、私たち日本人にとっての、お祭りが持つ重要な意義を教えてもらったように感じました。それは、祭りは、自分を周りとつなげてくれるもの、そして、自分に明日への気力をくれるものだ、と。
お祭りは、先人達が頑張ってここまでつなげてくれたものーーならば安易に失くしてはいけないと強く思います。30年以上も前に聞いたアメリカのナバホ族の物理学者の言葉を次に引用します。
「一度、文化や言葉が失くなるとそれはもう2度と返ってこない、100年後それを惜しんでも、その時にはもう遅い」と。「地球上で問題が起きた時、その問題解決には多くのさまざまな知恵が必要だ(ナバホ語を失くしてはいけない)」とも。 言葉は文化、文化には数多くの知恵が凝縮されています。自分たちの文化はもちろんですが、他の全ての多様な文化を大切にしなければならないのは、私たちみんなのため、これからの子供や子孫達のためなんですね。