「誰からも好かれるような人になれ!」
昔、父が私たち子供によく言ってた説教の一つです。お客様から信頼されることが一番大事だったことは自営業の父にとっては、当たり前のことだったのでしょう。また、誰からも好かれると言うのは、「みんなとうまくやる」と言うことでもあります。これは商売をやっているか否かに関わらず、日本人なら多くの人がほとんど常識として抱いている価値観ではないでしょうか。
「みんなとうまくやる」には、多くの人が右向け右なら、左や前を向きたい場合でも右を向かねばならない風潮があると言うことを示唆してもいます。もし、右を向かないと、「協調精神に欠けてる」とか「目立ちたいのか」と言われるのがオチです。どちらにしろ否定的な意見が寄せられます。(あくまでもこれは日本において、のことです。文化が違えば真逆の反応もあるのですが、ここでは省きます。)
しかし大人になるにつれて、父の言葉がどこかで私の首を絞めるような息苦しさに繋がりました。「果たして、誰からも好かれることは可能なのか」、「誰からも好かれることは自分がゼロになることなのか」と悩んだこともありました。
どちらかと言えば外交的な私とはちがって私の伴侶は内向的です。だいぶ前に彼が私に言ったことで「目から鱗」の衝撃を覚えたことがありました。
彼:「あの歌は大嫌いだったなあー」と。誰でも知っているあの歌、小学校の入学時に至るところで聞こえるあの歌である。
「一年生になったら、一年生になったら、友達100人できるかな。。。」
なぜ嫌いかと尋ねると、「なんか、友だちが100人作れないヤツはダメなヤツだと言われている気がする。友達が少なくとも平気なヤツ、一人で好きなことをやっている方が好きなヤツなんて世の中に山ほどいるんだ、子供だって多分そう」と。私は一人、うなってしまったのを思い出します。あの歌を嫌いな人が居ることにまず驚き、そしてその理由に目を見開かれた思いでした。多様性についての専門家である自分であっても日々の生活の中では「いろんな人間がいるんだ」と言う視点が欠けていることに反省し、勉強になったのでした。
日本の中で、みんなと同じことをするのが良いことに対して、私は問題なく過ごせてきたのです。むしろ優等生でした。しかし、どっぷり浸かった結果、自分を見失い、その行き過ぎに苦労したわけです。一方で伴侶の場合は、この価値観に馴染めず、わざとでも「右向けー右!」の号令に対し左を向きたい自分がいたのです。
この常識は、日本文化の中心的な価値観に根付いているのですが、Cultural Detectiveツール(にっぽりかアソシエイツ作成)がそのことについて説明しています。例として挙がっている価値観の一つは、「和」。それは、人、もの、自然との秩序だった関係のこと、とあります。このツールの面白いことの一つは、全ての価値観には必ず否定的な見方があると紹介しています。例えば、「和」の場合は、相手に合わせて自分の本音と建前を使い分け調和を保とうとする、その結果、「一貫性がない、正直でない」と否定的に外国人からも、そして同じ日本人からも見られるとあります。時には、文化の価値観のど真ん中を生きる多数派であったり、またある時は、その否定的な部分を生きる少数派であったりするのかもしれませんね?
自分の文化に息苦しくなったら他の文化に行ってみるのも一つの手です。新たな冒険に旅立つこともありでしょう。