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有限会社オフィス山本
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文化の核は、なかなか変わらない?

  私の生業の一つは企業研修をデザイン、そして実施することです。先日、2年ぶりぐらいに「対面で」研修ができました。実に楽しいものです。そして嬉しいものです。そこで対面でしか体験できないことがありました。

 研修は、スライドを見せながら進めていきました。研修生は4人一組で机を囲む島の形に座っていました。前方にあるスライドに、背を向けてる参加者もおられました。研修開始1時間ぐらい経った時のことです。ご一緒いただいた元請の営業の方が休み時間に私へ近寄ってこう言われたのです。

 「先生、スライドに背を向け、後ろ向きに座っている研修生には、椅子をうごかして前を向いていいですよ、と言ってあげた方が良いのではないでしょうか。」

 「。。。?」

 この言葉に私は面食らいました。「首が痛くなるなら、椅子を動かし体全体が前を向くようにすれば良いのでは?」と思いました。そこでその営業の彼にそのような内容に似たことを伝えました。すると「先生、それは言ってあげないとダメですよ」と彼からそのように言われました。「へええ、そう言うものなのか!」と多少驚きました。それは、小さなカルチャーショックのようなものだったかもしれません。上からの指示がないと自ら動こうとしない、それが大半の日本人、だとすると、このような状況(首が痛いでしょうに)でも、自分では勝手には動かず指示を待つものなのだ、と改めて確認したものです。

 一方で、上下意識がここまで強くない文化圏の人たちの大半は、自分の考えで主体的に動きたがるようです。このような状況では、首が痛く感じたら自然と疑問を持たずに一人で動くでしょう。それも雑音を立てることお構いなしに、相手への迷惑ということには思いも至らず、椅子を動かすかもしれません。あるアメリカ人の同僚トレーナーにこの話をしますと、アメリカ人の参加者の中には、周りにお構いなしに靴も靴下も脱いで裸足で企業研修に参加する人に出会ったことがある、と苦笑気味に言ってきました。

 上下関係がはっきりしている日本とそうでもない社会との違いが浮き彫りになった状況でした。同時に、主体性の重要性を日本のビジネスの社会が主張し始めてから久しいのですが、そしてそれは教育の世界でも見受けられるようですが、改めて、文化の中核になっているものの根の深さを痛感した体験でもありました。文化の特性の一つである「文化は流動的ではなるが、その核になっているものは簡単には変わらない」。