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有限会社オフィス山本
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初めての海外体験

                                                                                            5/26/22   

 最近、日本政府が海外からの観光客を少しづつ受け入れると発表しました。

 これを受けてか、もろもろの変化が私の身の回りにも起きています。例えば、昨日の話しですが、外資系の最大手化学メーカーの役員であるクライアントさんがこんな話をしていました。「5月になり海外からのお客さまが訪ねてくるようになって本来の自分の調子がやっと戻ってきたように思います、私はこうでないとやっぱり調子があまり出ないことがこのコロナ禍で分かりました」と。

 また、私が非常勤講師で教える東北大学の留学生たちが5月に入り続々と日本入りし仙台に入ってきています。毎回、海外からオンラインで授業に出ていた留学生が欠席しましたので、「あれっ」と思っていたらその留学生からメールがあり「日本へ移動する最中なので授業はすみませんが次回は欠席になります」。その彼女を含め数名の留学生と直接話してみると一様に共通していたのが、小さい頃から夢に見た「念願の日本」についに来れた興奮を隠せない様子だったこと、でした。そういえば、私にもそんな時があったっけ。。。

 ほとんど40年前になりますが、当時大学4年生である私の初の海外渡航(アメリカ)を思い出します。1ドル285円だったように記憶します。その時バイトで貯めてやっと購入した安い航空券を買っていたせいかハワイで一旦給油のため飛行機を降り立ったのを思い出します。「ああ、夢のハワイに居るんだ。。。」とその時の生暖かな霧雨の中で空を眺めていた時の空気感を自分の肌感覚で今でも覚えています。全てに目を見張りキョロキョロし、驚き、かつ刺激的でした。しかし、しばらく経つと、当然、カルチャーショックのようなもの(当時はそれとは知りませんでしたが)をボツリボツリと感じ始めました。悲しみや怒り、イライラ、不快感、そして寂しさなど感情の渦の中に引き摺り込まれました。今ではその当初のしんどさはあまり覚えていませんが、異文化というのは楽しくてかつ厄介なものと感じたことは間違いありません。その厄介なものにどう対応するか?まずは抵抗せず、違いを受け止めることが大事と一般に言われます。若い時の私は「そうは言ってもそれってどう言うこと?!」と自問自答したことを懐かしく思い出します。この辺りのことを、ベネット・ミルトン博士は異文化モデルで詳しく説明しています。異文化適応の過程は、このモデルに依ると「自文化中心主義」と「文化相対主義」の二つに分かれると言います。自文化中心主義は、簡単に言うと、自分の文化しか見えないレベルで、違う文化が見えない、または否定しようとするレベルです。一方で知識や経験が増えることにより、徐々に文化相対主義に移ることが出来ると言います。ご興味のある人は検索さられると面白いですよ。

 海外生活や異文化の人との交流が自分をさまざまなレベルで鍛えてくれることは、一般的には大いにあると思います。しかし、自分がその過程でどう鍛えられても、相手への配慮も忘れ自分の利だけを追い求めたのでは成長なぞはどこへやら、と感じ首を傾げてしまいます。異文化体験の負の産物と言えるのかもしれません。

 私のある知人で大変お刺身の好きな人が居ました。毎日ぐらいにお刺身を食べていました。その彼が中国へ行って中国の食事にはあまり箸をつけずに帰ってきて言うには「やはり日本が一番。日本の食べ物が一番。刺身が一番」と。それはいいのだけれど、禄に海外を体験もせず海外をボロクソにいう姿に少し違和感を覚えたものです。それは彼のやり方ですから私が何か言う筋合いでは全くないのですが、内心折角のチャンスを惜しいな、ちょっと寂しいかな、と私は思ったものでした。